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あの時はちょうど、漫画を描いている最中でした。数日前から高熱を出して寝込んでいたのですが、どうしても原稿を仕上げなければならなくて。揺れがひどく、インクがこぼれてしまったのを覚えています。幸い、大きな被害はなかったのですが、家族全員、いつでも逃げ出せるようにと同じ部屋に集まっていました。被害がどんどんひどくなっていく様子をテレビで見ているうちに居ても立ってもいられなくなって、高熱にもかかわらず、ボランティアに行こうとしたんです。その時、父から「自分にできることは他にあるだろう」と言われて、はっとしました。今の私にできること…それは、漫画を描くことなのだと。
漫画家になりたかったというよりも、子どものころから純粋に漫画が好きで、人になにかを伝えたいという気持ちが強かったように思います。絵や詩、小説を書くことも好き。中でも「一番身近で、私にできること」が漫画だったんですよね。
王道といわれる路線の少女漫画を、もちろん好きで描いていたのですが…。「こういうシーンはこう描けばいいんだ」なんて、だんだんパターンが定着してしまって。そろそろ、違うこともやりたいなという気持ちが高まっていきました。

「あるいとう」は神戸弁で「歩いている」という意味で、阪神・淡路大震災を扱った作品です。だからでしょうか、ずっと評価の高かった読者アンケートの結果が想像以上にふるわず、編集者さんもおどろいてしまって…。それでも「あるいとう」を描かせていただいていることに、心から感謝しています。明るさやかわいさが求められる『マーガレット』で、むずかしいテーマを掲げているなぁと自分でも思っていますから。
「あるいとう」と関係が深い、神戸北野美術館のテラスにて阪神・淡路大震災にまつわるシーンは、描くのにとても苦労しました。だれも傷つけたくないし、だからといって気にしすぎてしまったら、本当のことを描けなくなってしまう。あの時、私はひどい揺れを感じたものの被災したわけではないので、経験したことを第三者の視点で描くことしかできないんですよね。でも、だからこそ表現できる言葉や絵があるのかもしれません。
忠実に描かれた神戸のまちなみ ©ななじ眺/集英社マーガレットコミックス漫画家は本来、登場人物を客観視しながら描くものなのですが、私の場合は自分の内面をそれぞれのキャラクターに映し出しています。「あるいとう」の登場人物はみんな、私そのもの。強さや弱さ、私という人間のすべてがあちこちに投影されています。だからこそ、描きながら彼らになりきることで、ごく自然にセリフが生まれてくるのかもしれません。
私も母親なので、同じ局面に遭遇したら「はやく逃げなさい」って言うだろうなと思いながら描きました。なぜか私は強い人間だと思われがちなのですが、つきあいが長くなると「本当はつらい過去や経験があるのに、強がっているんだね」と言われることが多くって。そういうところも、主人公の「くこ」と重なるんですよね。
「あるいとう」でおなじみの、北野町東公園そばの坂道なにがなんでも震災漫画を描きたい!というわけではないんです。でも、神戸を舞台にした漫画を描くなら、阪神・淡路大震災は切り離せないものだと考えました。神戸で暮らす人たちにとって、震災を経験したことは人生の一部。ひとりの人間として考えた時に、震災を扱うことはどうしても避けられないことでした。
このシーンには、私が初めて「阪神・淡路大震災1.17のつどい」に参加したときの印象や想いを込めました。竹灯ろうに火をともした瞬間、涙を流す人々の姿が目に飛びこんできて。心に傷を抱えている人たちが、泣くことをゆるされている時間なのかもしれないと感じたんです。たくさんの人々が亡くなったという事実、ひとつひとつの光に人々の人生や命の尊さが投影されていることに心が揺さぶられ、しばらく涙が止まりませんでした。
ななじさんの経験をもとにして描かれた「阪神・淡路大震災1.17のつどい」のシーン ©ななじ眺/集英社マーガレットコミックス実在している場所を描くと、その土地を愛している方々がこだわりを持って読むんじゃないかと思ったんです。神戸の人たちは、とても強い地元愛をお持ちです。だから言葉も、まちについても、震災のこともずいぶん調べてから描きました。
2014年11月25日発売、「あるいとう」第8巻の表紙 ©ななじ眺/集英社マーガレットコミックスいつまでも、変わらないまちであってほしいなぁと思います。きっと、どのまちにいても同じですよね。自分の知っているものが少なくなっていくのは、やっぱりさびしい。なかよくさせてもらっていたお店が閉店してしまったり、作品で描いた建物が別のものになっていたり…。神戸を舞台にした漫画を描いていると、まちが変化していく様子がよく見えてくるんですよね。
絵が好きで、ずっと描き続けてきました。本当に描きたいのなら、たとえどんなにしんどくてもつらくても、描き続けるものだと思うんです。「描きたい」というより、「描かなければならない」という気持ちが強いのかも。もちろん時々、少女漫画の王道的な要素を入れたほうがいいのではないかと迷うこともあります。けれど、それでは一般的な少女漫画になってしまう。本当は人気がある方がいいのですが、読者アンケートの反応が少なくてもいいから、人の心の深いところへ染み込んでいく作品にしたいなと。だから、このまま突き進もうと思っています。
ポニーテールを結ぶことで、自分を無理やり笑顔にする主人公「くこ」 ©ななじ眺/集英社マーガレットコミックス漫画は本来、つらい現実をわすれて楽しんでもらうもの。けれど「あるいとう」では、それぞれの持つ重い過去やつらい現実と向きあいながら生きていく様子をリアルに描き込んでいます。どちらがいいということではなく、私は漫画に秘められた可能性を広げていきたい。こんな漫画があってもいいんじゃないか、と思うんですよね。読者のみなさんに、こういう想いが少しでも伝わればいいなと日々願っています。