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家業は工務店ですが、建築って、自然を壊すというか、自然と対立する仕事だと思っていたんです。だから、家を継ごうとは思っていなかったし、下に弟が三人いるので、「誰かが継いでくれるんじゃないか」くらいに思っていました。
学生時代の村上さん。「人に注目されたいということをあからさまに表現する」ことにこだわっていたため金髪にしていたそう京都も揺れましたが、テレビをつけて見ると、京都や大阪の震度は表示されるのに、神戸だけ震度が出ないんです。まわりの都市と同じくらいなのかなと思っていたら、震源地で一番ひどく、火災も起きているとわかり、怖くなりました。翌日、バイクで神戸に向かうと、西宮市を流れている武庫川を渡った途端に景色が完全に変わりました。何もかもが壊れていて、目を疑うような景色でした。
当時、ポートアイランドのある中央区に実家があったのですが、液状化現象で、道路の上に泥が20cmも溜まっていて、怖くて歩けないような状態でした。会社には「家を見てほしい、直してほしい」という要望はたくさん来ていたのですが道路が復旧していなかったり、渋滞がひどかったりしたので、社員さんをバイクの後ろに乗せて、お客さんのところに送っていました。
美しいまちだとずっと思っていた生まれ故郷の神戸が震災でぐちゃぐちゃになってしまったのを見て、すごく悲しい気持ちになりました。しかし、その中で、家業である建築の仕事に対する見方が変わりました。それまでは、自然を壊す仕事、と思っていたのが、自然も守りながらまちに向き合い、人々の力になる仕事なんだ、というように見えてきたのです。
震災直後の村上工務店周辺のようす。村上さんはボランティア活動をして神戸のまちを駆け回った阪神・淡路大震災の後、神戸のまちのために何かしたいと思ったはずだったのに、自分は何もしてこなかったんじゃないか。
毎回違った分野で活躍する講師を招いて、講義が行われる神戸の人口は約150万人。適度に小さいというか、人が力を合わせられるサイズだと思うんです。けれども、人がばらばらで、想いを共有していない感じがしていました。
アメリカのポートランドは、人口約60万人ですが、自然の豊かさと都市の機能が共存しているコンパクトシティの成功例として、知られています。ここでは、市民が「消費するよりつくる」まちにしていこう、というビジョンを共有しているんですね。
神戸に対してみんなが思っていることも、それとあまり遠くないと思うんです。みんな思っているのだけど、声に出して言っていない。それは、言えるような人のつながりが十分にできていないから。まずはそのつながりをつくりたいと思いました。「トモダチのトモダチ」くらいの距離感でつながれたら、小都市ならではのつながりの強さで、まちの魅力を最大限に引き出せると思っているんです。
スタッフは全員ボランティア。Facebookなどで連絡を取り合い、毎月の講義を準備している目的は「人がつながること」ですから、理想の参加者数は30人くらい。本当に講義のテーマに関心のある人に来てほしいと思ってるんです。スタッフにも、「関心のないときには来ないでほしい」と言っているくらいです。
あと、新しい人とつながるのが大事なので、どんなに面白い活動をしていても、もう僕たちがよく知っている人や、近いコミュニティの人は講師に呼ばない。接点のない人を発掘していっています。
例えば、僕は仕事柄、自営業の人や、まちづくりに関わっている人は結構知っているわけです。でも、神戸にある大企業で働いている人や、研究所の研究員の方たちとはほとんど接点がない。そうすると、講師に呼ぶことでつながれるわけです。
行政とも、意外とつながりがないことに気付いて、この間は市役所の職員に講師になってもらったのですが、そこでお互いにどんな想いで、どんな活動をしているのかわかって、つながることができたんですね。
「Sparks!」5回目、須磨海浜水族園の大鹿達弥氏による「水族圏博物館構想」のショートプレゼンテーション
創業130年の「ナガサワ文具センター」で、商品企画に携わっておられる竹内直行さんこういう例は、たくさんありますね。神戸モトマチ大学をつくったときにイメージしていた人のつながりが、どんどんできてきていると思います。
いろいろありますが、「神戸は静かなまちだ」ということを肯定的に捉えている人が多いことが面白いなと思っています。「まちづくり」というと、「盛り上げる」ことをまずイメージしませんか?でも、盛り上がりを見たければ、渋谷に行くとか、海外なら上海に行くとかすればいい。神戸は盛り上がりという点ではとてもかないません。でも、「静かだから好きなんだ」という人が多いんです。いろいろな人と話す中で改めて気付いた神戸のいい点ですね。
参加した人に感想や、受けたい講義などを書いてもらうカード神戸のまちなかには、阪神・淡路大震災が起こった5:46で止まっている時計が結構たくさんあるんです。大阪の人と話していたときに、「あれはもう新しくしたほうがいいよ」と言われたのですが、神戸の人間にとっては、あれが原点なんですよね。震災があったからこそ、お互い結束したり、乗り越えたりしてきたので、震災をただ悲しいもの、つらいものとして捉えてはいないんです。
でも、東日本大震災が起こった後に、「東北は神戸を参考にしてはいけない」という声を聞きました。なぜなら、「神戸は1995年以前の神戸に戻ろう、戻ろうとしている。新しいまちをつくろうとしていない」からだというのです。悔しいけど、本当にそのとおりだと思いました。ああいう大きな災害が起こると、新しいことを考える余裕がなくなって、たいがい保守的な意見が勝つんです。
神戸は居住空間としてはすごく恵まれていると思うんですよ。海も山もあり、コンパクトで美しい。だけど、新しい産業ができていないので、若い人たちが外に出ていってしまう。もっと新しい産業が生まれて、働きやすいまちにしたいと思いますね。
「何ごとも小さく始めるのが好き」という村上さん。その先に見ている夢は大きい