みんなに広めたい話![]()
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いわば、大学生はひく手あまたの時代。先輩はみな、名だたる商社へ就職していたし、ありがたいことに、僕にもたくさんのお誘いもありました。そりゃあ、ずいぶん迷ったけれど、弟と一緒に、両親の店を継ぐ決意をしたんです。親は、継げとは一度も言いませんでしたけど、背中を見て育ったから。そういうもんです。大正生まれのオヤジのこと、長男やから、跡継ぎやからというて、特別扱いはしません。「大学へ行ったことは、お前の財産ではあるけれど、内に秘めとけ」。そんな風に言うてましたね。当時は店が2軒あって、職人も10人抱えていましたが、ほかの職人もみな同じ、手取り足取り教えてくれたりはしません。みんな、オヤジの姿、先輩の仕事を、「見て」学ぶんです。
店と家の往復で、まわりのことなんて考えられへんかったよね。
そこへ地震や。そやけど、あの日は火曜日でちょうど市場が定休日でしたから、火事を出さずに済みました。あれが火曜日やなかったら、と思うだけでゾッとする。営業日やと、5時半も過ぎたら、豆腐屋が油揚げ揚げる準備を始めとってもええ時間なんです。
震災当時のことをまざまざと語ってくださる西村さん。「若いもんに声かけて、当日の夜から夜回りに出たんや」そやけども、市場見回したら、どこも枠がヒシャゲて、シャッターがヒラヒラしていて、用心もなにもないわけ。前日まで営業してたから、店の中には金庫も商品もそのままやのにね。それで、避難所でじっとしてても状況は変わらへんさかいと、当日の夜から、夜回りに出ることに。組合の理事長、町内の自治会長をしてたのもあって、周りに声をかけたら、30人ほどが集まってくれて。手分けしてね。
それから、ほかにも何ができるやろうと考えて、「無理はせんでもええけど、身体のあったまる食べ物や酒があったら、なんなりと持ってきてくれ」言うて、大きなドラム缶で炊き出しもしました。思いつくことは、なんでもやった。でも、こういうことはみんな、普段から市場や町内でコミュニケーションをしっかりとってたからできたこと。東日本大震災のときも、大勢の人が「つながり」という言葉を口にしたけど、なんでも、ひとりではできません。しかも、100人いたら百人力やない、千人力になるんです。母校の関西学院大学には、「Mastery for Service」というスクールモットーがあるんですけど、ああ、まさにこういうことを言うんやなぁ、と痛感しました。いまも、その気持ちは変わっていません。
現在の丸五市場。震災後も変わらぬ昭和レトロな趣をたたえて、ふんばっているそんな、どん底とも言える状況の中、1999(平成11)年に兵庫県から2,000万円の助成を受け、新長田地域全体の商店街と市場が力を合わせて取り組んだイベント、「復興大バザール」がなんとか成功しました。大正、昭和とそれまでは、それぞれが各商店街、各市場でやってきたのですが、このときばかりは組合や丁目の垣根を越えて、一丸となって取り組めたからこその成功。そのことをみんなわかっているから、誰となく「この一度きりにせんときましょうや」と。その後、今に至るまで約15年、月1回のまちづくりミーティングが続いています。
2009(平成21)年10月に完成した、身長18メートル、重量50トンという超ビッグサイズの鉄人28号モニュメント。世界中からファンが訪れる(©光プロ/KOBE鉄人PROJECT 2009)市場としての機能を失ったことで、「アジア横丁」という愛称で、市場を再活性するアイデアが浮かび上がりました。シャッターを降ろしている商店主を口説いて、店舗部分だけを賃貸し、内装費や家賃といった金銭面を補助して、たくさんの公募の中から台湾屋台とタイ料理店の2つの飲食店を新たに誘致しました。市場の僕らの店がしまうころ、交代のように夕方からふたつのお店が賑わいをつくってくれたらいいなあと。だけど、金銭的補助だけではアカンかった。夕方には市場を後にしていなくなってしまう僕らの目が行き届かず、お客さんがつかずにすぐに窮してしまったんです。

今度は、僕ら市場の商店主も一緒にできるイベントを、と考えたんですね。夏の間だけ月に一度、丸五市場に屋台が出現するんです。このときばかりは、市場の商店も出店するし、この日だけ出店するアジア料理の店もある。そうと決まったらまずは、市場の仲間を説得です(笑)。ここでもやっぱり、「みんなでやる」という意識が必要やったんです。
丸五アジア横丁ナイト屋台の様子。7年間で35回、毎回大盛況。来年も、例年通り6〜10月の第3金曜日に開催の予定
「神戸ながたTMO」の一員としてミーテイングを重ね、年間を通じてさまざまな企画を行い、PR紙を発行し、イベントに参加するお客さんも、神戸市長も、全国から視察にいらっしゃる全国の商店街の方も、みんなが口を揃えて「なんや、これは!」とびっくりしてくれはるほどの賑わいを仕掛けた張本人として、後にはひけんわな(笑)。もちろん、来年も丸五アジア横丁ナイト屋台をやるし、自分の健康のためにも、今の仕事は続けていきたいと思っています。まだまだ、楽しみにしとってな!
