ここでしか聞けない話![]()
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もともと、人と関わるのが得意ではなくて…。だからあえて、人と関わること、個人に焦点をあてた建築を学びたいと考えました。僕が入学したのは、ちょうどバブルがはじけた後。建築の世界では、それまではある意味、市民(マス)を意識した都市計画がおこなわれていました。
テレビが飛んでいく様子、家がきしんだ後に生じる独特のほこりっぽい匂いなど…起こっている事象を五感でとらえ、冷静に見つめていました。なぜか、震災のころの記憶は、すべてが青い世界なんです。
まず、まち全体を見渡して、状況を把握しようと努めました。動物的勘のようなものがはたらいて、すぐに救助に向かったんです。恐怖心はほとんどありませんでしたが、人を救助するためにがれきを掘り起こしているとき、「建物がくずれてくるかもしれない」という不安は常にありました。人がどこに埋まっているのかもわからない状況の中、僕が住んでいた界隈では高校生や大学生が中心となって、懸命に救助活動を続けていたんです。
助け出した方の中に、ご自身は助かったけれどお子さんが亡くなってしまったお母さんがおられて…。「なんで私を助けたの!」と泣き叫んでいる様子を見ているのは、とてもつらかった。けれど、不謹慎かもしれませんが、こんな風に感情をあらわにするのが人間本来のあるべき姿なんだ、と感じたことも鮮明に記憶しています。
震災が発生した現場には、十分な道具などありませんから、「てこ」になるものを探すなど、その場その場で必要な判断をしていた気がします。本来はそんなことができるわけもないのですが、あのときは、人の命に優先順位をつけざるをえない状況でした。

本に記されている言葉を、血肉にしていった時期でした。歴史学などを読み直すことで、過去に行動した人を知り、「人間学」に出会いました。「人間学」とは、人間とは何か、人間の本質とは何かを追求する学問。震災を経験し、人間の回復力を目の当たりにしたことで、破壊された風土の中でも人は立ち上がっていけるんだと実感したんです。その後も加速度的に本を読んでいき、家の中は本だらけでした。
たき火のあたたかさとか、ちょっとしたことでも声をかけあう様子など、とても人間らしい行動を見るたびに、関西人らしい文化だなと思いました。炊き出しで、一度に数千食もつくっちゃうような人たちもいて…1+1を、2どころか、4にも5にもしてしまう力強さがありました。それこそが、生きていくために必要な「人間力」だと思いましたね。
この活動をおこなうにあたっては、とても複雑な心境でした。だれもが言葉にできないような経験をした直後でしたから。罵倒されたことも多々ありました。けれど、人として向き合い、信頼関係を築いて、必要な情報を集めていくための訓練になった気がします。なによりも実感したことは、神戸にもどって来られなかった人たちも大勢いたという事実。もどって来られなかったのか、もどって来なかったのかはわかりませんが、人にはそれぞれの生き方があって、震災と一定の距離を置かざるを得ない体験をした人たちが少なからず存在しているんです。
研究室には、実にさまざまなジャンルの本が並んでいる熱い想いを実践していて、僕自身が素直に尊敬できる人たちのことをたくさん知りたいと思ったんです。人間的に大事なことを続けている人や、独立精神のある人たちの近くにいたかったんでしょうね。「人間力」の源泉がどこにあるのかを知りたくて、何時間も彼らとすごした結果…「人間力」とは、その人の人生そのものなんじゃないか、という結論に至りました。
人と関わることが苦手な僕にとって、みんなと食事を共にするのは正直言って、おっくうなこと。けれど、一緒にごはんを食べることで、その人の人生哲学を知ることができるんです。語りつくした先に得るものがあるから、僕はそういうコミュニケーションを今でも大切にしています。
僕は、復興の先にある「人がいきいきと生きるためのプラスになる何か」を探していました。震災後のまちづくりにおいては、市民が抱える現実を適切に把握しきれなかった行政と、自分の想いばかりを語り続ける市民の姿があったんです。もちろん、どちらもまちがいなのではなくて…連携の仕方がポイントなのではないかと。だから今も、地域連携の仕事を続けることで、行政と市民のバランスをとる役割を担っているのだろうなと思います。
地域連携活動の成果や考え方をまとめた著作、年次報告書現在は年間400回くらい、さまざまな場所でプロジェクトを展開しています。どのイベントも事業としておこない、「どうすれば継続的に運営していけるのか」を考えるトレーニングになるよう、学生には主体的に関わってもらい、マネジャーとしての経験も積んでもらうように心がけています。
背中を見せられないようなリーダーでは、どんなプロジェクトでも続きません。「人力」を発揮することで背中を見せ、「人間力」で人をまきこんでいく…僕は、その両方をそなえた人材を育てたいと考えています。だから、「この人なら、学生に背中を見せるとおもしろくなりそうだなぁ」という人たちと連携して、事業をおこなっているんですよね。学生と一緒になって、本気で遊んでくれる大人とチームをつくりたい。そして、どんなプロジェクトも完成することはない、と思っています。あえて解決不能にしておくのは、「新しい可能性を自分で探しなさい」というメッセージでもあるんです。地域との連携事業では、学生自身が身をもって「貢献できた!」と体感することが重要ですから。
大学生が運営する地域の子育てコミュニティ「げんきっこ新在家」。兵庫県立大学環境人間学部のキャンパス内にある、親子が安心して集える場在来種というのは、ある地域で何代にもわたって受け継がれてきた品種のこと。学生たちは、兵庫県の播磨地域で受け継がれてきた「ハリマ王にんにく」や「もちむぎ」に加え、2014年から新たに加わった「よもぎ」など、在来品種を「育てる」こと、在来品種本来のおいしさを「味わう」こと、在来品種を「伝える」ことという3つの視点で、プロジェクトを進めてきました。この「育てる」「味わう」「伝える」という3点を軸にした在来品種保存システムを活用することで、農村部から都市部まで、さまざまな地域の課題解決に取り組めることを発表したんです。
「Enactus」には、発展途上国の学生も参加しています。彼らは、必要に迫られて本気で活動している。環境人間学部の学生たちには、そんな他国の学生の姿を目の当たりにしてほしいと思っていました。社会の課題を、いかに自分ごととしてとらえ、活動したかが重要なんです。大きな舞台に立つことで、本気で取り組むおもしろさを体感し、同時にうまくいかない経験も積んでいく…いい機会にしてもらえたらと願っています。
北京でおこなわれた「Enactus World Cup 2014」オープニングセレモニー地域の活性化は、そこに住む人たちをまきこんで、内側からおこなわれるべきだと考えています。地域の人たちが、どれだけ自分の言葉で語れるかが重要なんです。日本の教育には、感情、情緒の部分を育む部分が欠けているなと感じることが多いので…学問は感情だと考えている身としては、人間的な余地を生み出していく学びの場にしていきたい。そうすることで価値観を多様化し、社会を動かせる人たちが増えていけばいいなぁと思っています。
土のプロの指導のもと、里山で子どもたちと共に「ハリマ王にんにく」を育てる経験した人たちが震災について語り継いでいくのは、とても自然な流れです。一方で、語らない人たちや語ることができない人たちに対してもリスペクトする精神をもち、想いをくんで配慮していくことが大切なのではないでしょうか。今は、物理的に復興した状態を「復興」だと言っている気がします。真の復興というものは、きっと終わりのないもの。神戸で暮らす人々の多様性も含めて、「復興」とはどういうことなのかをあらためて考え、「復興」をもう一段階進めていくことが必要なのではないかと思っています。
神戸のこれからについては…人間力のある人たちが活動しやすい、「人間力」でつながっていくハブの役割を果たせるまちになるといいですよね。阪神・淡路大震災後の神戸では、どの都市よりも人と人とがつながっていたはずなんです。さらに、次の時代に価値を生んでいく豊かな「人」の土壌が、もっともっと育っていくといいですね。