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地震発生
1995年1月17日 淡路島北部の北緯34度36分、東経135度02分、深さ16km
1995年1月17日 マグニチュード7.3の地震が発生
1995年1月18日 須磨区工場地帯で大火
1995年1月18日 灘区橋脚が落下
1995年1月18日 民家からの人命救助
1995年1月18日 中央区三宮町の傾いたビル
1995年1月19日 崩壊した高架線
1995年1月19日 市役所も避難所に
1995年1月20日 横倒しとなった4車線高速道路
1995年1月20日 次々と送られてくる物資
1995年1月20日 電気・道路の復旧工事
1995年1月20日 重要文化財の崩壊
1995年1月20日 壊れた水道管から取水する市民
1995年1月20日 スイスからの行方不明者救助隊
1995年1月22日 地下水を利用した温泉に並ぶ人々
1995年1月22日 進む仮設住宅の建設
1995年1月23日 進む上下水道の復旧
1995年1月23日 市役所前に設置された聴覚障害者用のファックス
1995年1月23日 震災後初のコンテナ船が入港
1995年1月23日 鉄道代替バスによる朝の通勤
1995年1月24日 日本銀行神戸市店における市中銀行の出張サービス
1995年1月24日 避難所のボランティアタクシー
1995年1月24日 仮設トイレの清掃作業
1995年1月24日 街角で炊き出し
1995年1月25日 火災地区で唯一焼け残った公衆電話
1995年1月26日 トラックで物資が全国から続々と到着
1995年1月28日 中学校校庭に設置された、カナダ政府からの簡易住宅
1995年1月31日 南京町で春節祭に代わり水餃子の炊き出しが行われる
1995年1月31日 天皇皇后両陛下被災地訪問
1995年1月31日 復興する市場
1995年2月3日 ボランティア団体が作った『元気村』
1995年2月3日 復旧が進むJR高架橋
1995年2月3日 崩壊した住宅跡に電話が復旧
1995年2月4日 効率化が進む、ボランティアによる物資仕分け
1995年2月6日 仮設住宅入居者の案内
1995年2月6日 小学校の再開
1995年2月10日 次々と営業を再開をする商業施設
1995年2月14日 仮設住宅が完成し、被災住民の入居が開始
1995年2月17日 震災から1 ヶ月、被災地にてあげられる読経
1995年2月17日 賑わう、営業を再開した仮設店舗
1995年3月1日 火災焼失地域の病院が再開
1995年3月1日 “さんちか”が3月1日から営業再開
1995年3月1日 ”ハーバーランド”内店舗、3月から次々と営業開始
1995年3月4日 多数の芸術家達による”地震”をテーマにした展覧会
1995年3月4日 1月から毎週行われてきたインド人コミュニティによる炊き出し
1995年3月5日 阪神・淡路大震災犠牲者追悼式
1995年3月11日 再開したポートタワー
1995年3月12日 市長から借りたラジオの返却にホワイトデーのチョコレート
1995年3月22日 英国からの大道芸人が保育所を訪問
1995年3月 ピアニスト、スタニスラフ・ブーニンによる無料コンサート
1995年3月 無料診療所が開設
1995年3月 間に合わせのテントでの卒業式
1995年9月 がんばろうKOBEを胸に、オリックス、リーグ優勝
1995年12月 初の神戸ルミナリエ開催。254万人超を動員
1997年3月2日 大丸神戸店、再建工事完了。全館で営業再開し12万人が来店
1998年1月17日 第3回 阪神・淡路大震災1.17のつどい
これからの復興に祈りを込めた竹灯籠が始まる
1998年4月13日 復興しつつある神戸の元気な姿を伝える写真展「神戸からの手紙」
1999年7月15日 神戸港震災メモリアルパーク完成
2000年1月18日 「21世紀・復興記念事業」KOBE2001ひとまちみらい開催
2004年12月 明るく元気な神戸を全国に発信する「笑顔あふれるまち KOBE」実施
2005年1月17日 第10回 阪神・淡路大震災 1.17のつどい。震災から10年目を迎える
2007年10月6日 “被災地”から離れ、芸術のまちへ。「神戸ビエンナーレ」を初開催
2011年3月11日 14時46分18秒 東日本大震災発生
マグニチュード9.0、最大震度7。最大遡上高40.1メートルの津波が沿岸部を襲う
支援のため、多くの神戸市民が東北へ
2011年3月20日 デザイン都市・神戸推進会議とissue+designの「できますゼッケン」が被災現場で活躍
2012年3月11日 神戸から東北に笑顔の架け橋を。「第一回 LOVE FES 3.11」開催
2015年(平成27年)1月17日、
「阪神・淡路大震災」から20年が経過します。
震災は、多くの尊い命を奪うとともに、都市基盤や建築物に甚大な被害を与え、市民に直接的な大被害を与えました。
また、復旧の長期化に伴い、産業や都市機能、生活などに様々な影響を及ぼしました。
1995年(平成7年)1月17日午前5時46分、日本における戦後初めての大都市直下型地震である「阪神・淡路大震災」が発生し、淡路・神戸・阪神間の市街地を大きな揺れが襲いました。
震源は、兵庫県淡路市と神戸市の間の海上で、深さ16kmを震央とする活断層でした。地震の起こったところでの破壊の強さを表す「マグニチュード」は7.3、日本で定められている地表での各地点での揺れを表す「震度」は、最大7でした。震度7は、家屋の倒壊が30%以上になるという揺れを示します。
発生年月日 1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒
震源地 淡路島北部(北緯34度36分、東経135度02分)
震源の深さ 16km
規模 マグニチュード7.3
各地の震度
震度7 神戸市須磨区鷹取、長田区大橋、兵庫区大開、中央区三宮、灘区六甲道、東灘区住吉、芦屋市芦屋駅付近、西宮市夙川付近等のほぼ帯状の地域や、宝塚市の一部及び淡路島の東北部の北淡町、一宮町、津名町の一部の地域(地震発生直後に行った気象庁地震機動観測班による現地被害状況調査の結果判明)
震度6 神戸、洲本
震度5 豊岡、彦根、京都
震度4 奈良、津、敦賀、福井、上野、四日市、岐阜、呉、境、高知、福山、鳥取、多度津、徳島、岡山、高松、大阪、舞鶴、姫路、和歌山、津山、加西、相生、南部川、坂出、多賀、美方、高野山
震度3 大分、名古屋、輪島、金沢、飯田、富山、伊良湖、尾鷲、萩、山口、西郷、広島、松山、室戸岬、米子、松江、潮岬、諏訪
震度2 高田、長野、軽井沢、松本、横浜、甲府、河口湖、三島、静岡、御前崎、浜松、伏木、高山、宇和島、宿毛、下関、日田、宮崎、都城、佐賀、熊本、人吉
震度1 小名浜、新潟、水戸、柿岡、宇都宮、前橋、熊谷、秩父、東京、千葉、館山、網代、神津島、浜田、足摺、延岡、福岡、平戸、鹿児島、阿蘇山
阪神・淡路大震災による被害は、兵庫県全体で、死者・行方不明者が6,437人、被害総額が約10兆円(平成7年4月5日推計)でした。神戸市でも六甲山の南側の市街地を中心に広範囲かつ大規模に被災しました。
※H7.1~6月の死因では、窒息・圧死が77.0%、年齢別では65歳以上が43.7%を占める(厚生省調べ)
・行方不明者 3人市役所、病院等の重要公共施設の破壊、倒壊
・阪神高速道路3号神戸線、同5号湾岸線等の倒壊
・陥没、高架構造物の落下、建築物倒壊等による道路不通
・鉄道の寸断
・海上都市へのアクセスの寸断
・コンテナバース、岸壁等がほとんど全て使用不能
・港湾幹線道路の寸断
・東部2~4工区、ポートアイランド等で液状化
・電気 約260万戸が停電(大阪府北部含む)
・電話 約47万8千回線が不通(交換機系・加入者系)
・水道 約127万戸が断水
・ガス 約84万5千戸が供給停止
・下水道 被災施設:22処理場、50ポンプ場、管渠延長約164km
・1/3の公園が擁壁崩壊、舗装陥没、地割れ等の被害
・二級河川 117カ所破壊
・準用・普通河川 27カ所破損
・緊急復旧を要する箇所 68カ所
・約6億9千億円
・本社等中枢建築物の倒壊
・生産ラインの停止
・ケミカルシューズ 約80%が全半壊または全半焼
・清酒造 50%以上の企業が全半壊 ほか
・旧市街地の商店街の約1/3、市場の約半数が甚大な被害
・観光施設、宿泊施設、コンベンション移設などで建物損壊などの被害
・漁港、漁船だまり、農地、農業用施設等が多数被害
出典
震災10年~神戸の記録~(平成16年10月 神戸市広報課)
阪神・淡路大震災の復旧・復興の状況について(平成26年1月 兵庫県)