BE KOBE
RE KOBE
一覧に戻る
No.
15

神戸クロスロード研究会
柿本 雅通さん
浜 尚美さん
西 修さん
取材日 : 2025年2月17日

[ 写真 左から:浜さん 柿本さん 西さん ]

阪神・淡路大震災を機に生まれた防災教育教材カードゲーム「クロスロード」。クロスロードでは、ゲームの参加者が、カードに書かれた事例を自らの問題として考え、YESかNOで自分の考えを示すとともに、参加者同士が意見交換を行いながら、ゲームを進めます。今回はそんなクロスロードの普及啓発に取り組む「神戸クロスロード研究会」の柿本さん、浜さん、西さんにお話を伺いました。

神戸クロスロード研究会の活動

「クロスロード研究会」はどんな活動をされていますか。

柿本さん:クロスロードの普及啓発に取り組んでいます。色んな団体からの依頼に応じて、研修をしたり、一緒にゲームを行ったりしています。大体年間50回から100回くらいは活動しており、おそらく令和7年度の始めくらいに累計1,000件の活動実績となる見込みです。クロスロードは阪神・淡路大震災をきっかけに生まれたゲームで、神戸市の職員研修等にも活用されています。また、防災だけでなく、環境問題やまちづくり、福祉関係をテーマにした設問も作成し、活動を展開しているメンバーもいます。

震災当時はそれぞれ神戸市職員として災害対応にあたった

震災当時はどんな状況でしたか。

西さん:3人とも震災当時は神戸市職員でした。僕は市の住宅供給公社に勤めていました。当時住んでいたのが東灘区の深江北町で周りがほとんど壊滅状態でしたので、救助活動をずっとしていて、当日僕は仕事に出られませんでした。家族を名古屋の親戚のところに疎開させて、結局出勤できたのは震災から3日後の夜でしたね。そこからは住宅関係の復興計画を作成していました。

柿本さん:当時は教育委員会事務局の庶務課に勤めており、広報や裁判関係、統計等を担当していました。地震の時は、職員寮を出た後で、大阪の実家に帰っていました。実家の被害はなかったのですが、朝すぐは電車が動いていませんでした。6時30分くらいに近鉄が動き始めて、それに乗って大阪市内に出ました。梅田から西は電車が止まっていたので、梅田から十三まで歩いて行って、十三からバスに乗りましたが、途中で降ろされ、そこからは歩いて職場に向かいましたね。歩いていくと火災の影響でだんだん空が暗くなっていきました。市役所までは、なんとかその日のうちにたどり着いて、その日は水の確保に出て行ったりしました。

浜さん:当時は獣医師、衛生監視員として北区の保健所に勤めていて、妊娠4ヶ月でした。1月17日の午前中は、妊婦検診で休みをとっており、ゆっくり寝られると思っていたら、5時46分の揺れで起こされました。住んでいたマンション自体にはそんなに被害はなかったのですが、電気が止まって電話もつながらなくなりました。夫はすぐに出勤して、そのまま仕事に行ったきりになりました。私は残されたのですが、検診があるので、とりあえず西神中央にある西神戸医療センター内は落ち着いていましたね。テレビを見ようと思っても電気が止まっていて見られないわけですから、全体の状況が全然分かりませんでした。結局私が職場に行ったのは1週間程経ってからでした。被害が大きかった長田区の避難所を回って食べ物やトイレの衛生環境を確認したり、市民の方が飼えなくなったペットを動物管理センターというところで一時的に預かっており、そこに交代で手伝いに行ったりしていました。

クロスロード研究会の課題

現在のクロスロード研究会の活動について、課題や悩みはありますか。

柿本さん:活動を続けていく担い手の育成ですね。私や浜さん、西さん、他メンバーもそれぞれ活動を広めていって、日本全国でこの活動を行っているんです。ただ、以前は盛んに取り組んでいた地域でも、今は活動していないところもありますね。でも、防災啓発の手段はクロスロードだけではなくて、他にも色々とツールがあります。当時はゲーム形式の防災啓発の取組みが少なく、クロスロードは草分け的存在だったと思いますが、今は他のツールもできて、それぞれの方法で震災や防災を伝えていってもらえるのなら、それはそれで構わないと思っています。神戸の経験を伝えるクロスロードをつないでほしい気持ちと共に、防災に取り組んでいる立場からすると、色々な形で防災について考えてもらえたら良いと思います。

クロスロードのゲームとしての面白さはどこにあると思いますか。

西さん:元々は防災がテーマで作られたゲームですが、クロスロードはコミュニケーションツールとしても、すごくシンプルで優秀な道具だと思っています。一方でツールとしての限界もあって、クロスロードは答えを出す道具ではないんですね。濃密なコミュニケーション、深い話ができたりはしますが、「じゃあ結局どうしたらいいの?」という問いに対する答えは出ないんです。本当に答えが必要な人には、別の方法でちゃんと答えが提供されないといけないとは思います。クロスロードだけあったら上手くいくというものではないので、「クロスロード」プラス何かを用意する必要があると思っています。

浜さん:私がクロスロードをやっていて面白いと思うのは、人の頭の中を覗けるところです。同じテーマで真剣に議論するというのは、いきなりやろうとしても結構難しいじゃないですか。でもクロスロードのようなゲーム形式にすると、素直に自分の意見を言ってくれるんです。私は子育てをテーマにしたクロスロードを作ったのですが、子育ては本当にジレンマの連続なわけですよ。それを例えば自分の子育てのジレンマを問題にすると、色んな人から知恵をもらえるんです。元々の災害対応バージョンもそうですが、答えは1つではないので、結局色んな考え方を知っていることが、次の自分の豊かな決断につながる。その話し合いの場を無理なく作れるという点が素晴らしいツールだと思っています。

震災を知らない 10代20代にメッセージをいただけますか。

西さん:震災当時、僕はほとんど家に帰らず、役所で寝泊まりしながら復興計画を作っていて、オーバーな表現ではなく、一生この生活が続くのではないかと錯覚に陥っていたことがあります。神戸はもう二度と復興できないのではないか、という不安な気分になっていました。でも、止まない雨はなく、明けない夜はないように、何とか元の生活に戻って来れました。もちろん、中には傷を抱えて、今もなおしんどい思いをしている人もおられますが、希望を失わないでほしいです。何があっても必ず立ち直れるし、元の生活とは言いきれなくても必ずリカバリーできる、それを信じて頑張ってほしいです。もしこの先どんなひどい災害に出会っても必ず勝てると。どんなにしんどいことがあってもそれを信じて生きていれば、絶対大丈夫だと伝えたいですね。

浜さん:私は阪神・淡路大震災が起きて、東日本大震災が起きるまでは、自分が生きている間に、再びこんなにひどい災害が起きるとは思っていませんでした。だから、東日本大震災が起きて、常に何かの災害の前なのだと考えないといけないと思いました。災害で苦しい思いや悲しい思いをする人が1人でも減るようにと思って、こういう活動をしていますが、若い世代が災害を経験した人から話を聞いて、それをまた次の人に伝えてもらうことで、私たちがいなくなっても、神戸の文化として、震災の経験・教訓が残れば良いなと思っています。まずは、家庭内等、できる範囲で震災の経験や教訓を伝えていってほしいですね。

柿本さん:阪神・淡路大震災や東日本大震災等、日本では、昔から色々な災害が繰り返し起こっています。でもそれをなんとか乗り越えてきた人たちがいるのだと、それに自分たちも繋がっているのだということを忘れないでほしいですね。また、自分1人では何もできないということが震災の教訓だと思いますので、若い皆さんには信頼できる仲間をたくさん作ってほしいですね。

一覧に戻る