
30年前の、阪神・淡路大震災発生当時、日本中に大きな衝撃を与えた阪神高速道路神戸線の倒壊。「関西に大地震は起きない」そう言われていました。すべてが想定外の事態で、覆された常識。その中でも復旧作業に奮闘し、異例の早さで復旧工事を完成させた阪神高速道路。
当時復旧事業に従事されていた茂呂さんと、先輩たちから経験を受け継ぎ、現在の維持管理・防災・安全管理等を担当されている奥西さんに、当時の復旧作業について、そして震災からの30年間の歩みについて、お話を伺いました。
30年前の、阪神・淡路大震災発生当時、日本中に大きな衝撃を与えた阪神高速道路神戸線の倒壊。「関西に大地震は起きない」そう言われていました。すべてが想定外の事態で、覆された常識。その中でも復旧作業に奮闘し、異例の早さで復旧工事を完成させた阪神高速道路。
当時復旧事業に従事されていた茂呂さんと、先輩たちから経験を受け継ぎ、現在の維持管理・防災・安全管理等を担当されている奥西さんに、当時の復旧作業について、そして震災からの30年間の歩みについて、お話を伺いました。
震災発生当時、大阪の社宅に住んでいた茂呂さんは、自宅には大きな被害がなかったので、すぐに自家用車で大阪の事務所に向かったと言います。
そのような衝撃の事態の中、茂呂さんは復旧作業に取りかかります。当時、高速道路の被災により主な道路は国道2号、国道43号しか使えず、西宮から三宮まで普段は片道30分の道を進むのに、約1時間かかったそうです。道路は災害時のライフラインであり、物資の運搬や救急活動などで重要な役割を持ちます。そのため、阪神高速道路も1日も早い復旧を目指しました。
茂呂さん:震災当日の午後に、災害支援としてゼネコンの社員が本社に駆けつけてくれていました。当時のゼネコンの協力のスピード感は非常に印象に残っています。また、これ以上被害が拡大しないように、二次災害の防止に努めました。国道上の通行帯と復旧工事現場の境界に設置したフェンス基礎に使った鋼材は、延長で約50㎞もありましたが、ゼネコンや橋梁メーカー各社が、全国に資器材を手配してもらえたおかげで2日間で現場に搬入され、建設業界の底力の凄さを感じました。
震災後、4月1日から阪神高速道路公団(現在の阪神高速道路株式会社)に復旧建設部が発足しました。復旧建設部では、復旧作業にあたり、3つのポイントを意識していたといいます。
茂呂さん:1日も早い復旧を目指すこと、阪神・淡路大震災と同程度の地震にも耐えられる構造に復旧すること、沿道の方々へ配慮して作業することを意識していました。
また、高速道路の架け替えについては、通常5~10年かけて行うものを、2年間で行うという計画を掲げていました。
これらを目指して、当時の現場であまり使われていなかった技術も積極的に取り入れたといいます。被害を受けて使えなくなった部分を大きなサイズでカットすることができるワイヤーソーイング工法や、カットした大きなコンクリート材料を運搬できるマックスキャリアという台車を用いること等により、効率的な作業を可能にしました。
茂呂さん:異例のスピードでの復旧工事に不安はありました。しかし、国・自治体・警察の迅速な対応や支援、周辺住民の方々のご協力があったこと、工事に携わった人々の努力と創意工夫があり、異例のスピードでの再建・復興に繋がったと思います。
無事、震災から623日後に阪神高速道路3号神戸線は全線開通を果たしました。
茂呂さん:復旧工事が完了したときは、嬉しかった反面、命に関わるインフラを作っているという責任感をより強く感じました。それとともに、全国の皆さんから復旧工事の支援をいただいたことへの感謝の気持ちも大きかったです。「多くの協力を得て、わずか623日で復旧できたことへの感謝」と、「震災からの復興へ向けて一番に役立つインフラの復旧に、623日もかかってしまったことへの反省」とが入り混じっていました。
また、インフラを扱う企業として、自然に対する「畏敬の念」の大切さと、「絶対」という言葉のおこがましさを再認識させられたといいます。
奥西さん:震災を経験し、阪神高速道路では地震という大きな自然の力に対し、とにかく耐えようとする考え方だけでなく、一部の部材をうまく壊すことで全体を守る、といった考え方も取り入れるようになりました。
阪神・淡路大震災後、阪神高速道路株式会社では、災害に備えた取組を進めてきたと言います。ハード面の対策として、地震発生時にも機能を維持できるような耐震補強を進めるだけでなく、ソフト面でも、自衛隊等と協力して訓練を行うほか、社内での震災経験・知識の継承にも熱心に取り組んでいます。
奥西さん:土木は過去の経験から学ぶことも多く、実際経験したことをどのように活かし、どのように継承していくかが課題だと考えています。災害時には準備していたことしかできないとも言われています。様々な経験を活かしながら、その経験を次につなげていく意識が重要だと思います。
茂呂さん:構造物の維持管理・設計等をするにあたって、マニュアルに書いてあることをただこなすのではなく、自分が行うことに覚悟を持って取組み、使命感を持つことが大事なのだと思います。実際に阪神高速道路の復旧に従事した社員にはそういった意識があり、そういった社員から当時の経験や教訓を聞くことで社内での震災経験の継承を図っています。
茂呂さん:道中ラジオで阪神高速道路神戸線が倒壊したとニュースを聞いていましたが、状況は分かっていませんでした。大阪にある庁舎に到着して、テレビを見ると倒壊している阪神高速道路の惨状が映っていました。先輩社員より当時の阪神高速道路は100年もつと言われていましたが、私はただ呆然と壊れた構造物の映像を見ていました。