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No.
05

兵庫県警察
警備部災害対策課次席今冨 昭紀さん
取材日 : 2024年12月12日

[ 写真 奥:今冨さん ]

全てが想定外だった

阪神・淡路大震災が発生した当時、長田区にある県警宿舎の一階に住んでいた兵庫県警察 災害対策課の今冨さんは、地震当日、大きな揺れで目を覚ましました。

今冨さん:地震の揺れで飛び起きました。そして、思わず手を置いた壁から「バリバリ」と割れる感触が伝わってきて、これはだめだと思いました。揺れが収まってとりあえず私が所属する機動隊に連絡しようと思いましたが、当時は携帯電話なんて持っていなかったので、宿舎前にあった公衆電話で連絡しようとしたのですけど、繋がりませんでした。これは尚更大変なことになったと思って、自ら機動隊へ向かうことにしました。到着すると、機動隊のバスがすでに準備されていて、順次現場へ向かっていきました。

今冨さんがまず向かったのが神戸市兵庫区内にある兵庫警察署でした。建物の1階が潰れ、中には取り残されている警察職員もいましたが、「住民優先で、生きている住民(生存者)を救助する」よう指示されました。
三人一組で、一戸建家屋、ビル、マンションを駆けめぐり、「助けて」等の声が聞こえるところ、また、住民から呼び止められたところに赴き、その現場を確認し、生存者がいれば無線機を使用して応援要請を行い、救助隊員を集めて救助活動を行いました(充実した資機材もなくすべて手作業)。さらに多くの人が必要な現場では、近隣住民にも呼びかけ、手伝っていただいたと言います。

今冨さん:阪神・淡路大震災の前の警察は、災害への対策はそれほど重視していませんでした。阪神・淡路大震災を機に、大規模災害発生時の対応に向き合うことになったんです。
震災当時は、災害現場において各機関が連携して救助に当たることはなく、現在のように各機関が得意分野を出し合い、総合力を発揮して救助に当たることもありませんでした。震災当時から進化したと言えるのは、災害用装備資機材だけでなく、一番は防災関係機関との「連携」だと思っています。

何が正しかったのか自問自答する日々が続く

兵庫警察署をあとにした今冨さんは、新開地方面に住民の救助に向かいました。しかし中には救助が間に合わず亡くなってしまっている方もいました。

今冨さん:救出救助活動をしているとみんなに腕を引っ張られるんです。「助けてくれ、助けてくれ」って。でも見に行くとみんな亡くなられているので、「先に行かせてくれ」と言うのですけど。一人の女性に腕を引っ張られたのですが、私はその手を振り払って「すみませんけど、生きている人を先に助けに行かせてください」って何回も言ったのですけど、「助けてくれ」と。その人が指す方を見ると、家屋に押しつぶされて、頭と足が埋もれており、間違いなくその人は亡くなっている状況でした。ただ、十分な資機材や人手があれば、すんなり引っ張り出せそうにも見えました。でも私は「もうその方は亡くなっているから、先に行かせてくれ」と言って手を振り払い、そこをあとにしました。後からずっと本当に何回もその現場のことを思い出します。当時、私には生きている市民を助けるという指示がありましたから、当然の行動だと思って動いていたのですけど。
それから自分の子供が生まれた時とかにも、その現場が思い出されてきて。あの時私は埋もれて亡くなっていると思ったけれど、助けを求めた人はまだ生きていると思っていたのではないだろうかと。すんなり引っ張り出せるような状況であれば、そうしていたらよかったという後悔があります。それから何十年も、腕を引っ張られる感触は残っています。だからこそ生き残った方の心も救わないといけないと強く思うのです。

警察における災害対応

1995年3月に兵庫県警察に災害対策課ができました。また、2012年には東日本大震災をきっかけに警察災害派遣隊が発足しました。この部隊は、大きな災害が起きたときに、すぐに被災地に向かう即応部隊と、長期間に及ぶ災害対応を可能とした一般部隊で構成されています。また災害時には、警察、消防、自衛隊が連携して救出救助活動を行います。

今冨さん:災害発生から72時間以内に救出できないと、生存率が下がると言われています。だから警察も消防も自衛隊もこの72時間で勝負をかけて救出救助を行います。でも警察は、その72時間の救出救助が終わっても被災地の治安維持ということで継続して警備に当たっていきます。パトロールや交通規制、避難所や仮設住宅の訪問など、さまざまな任務が与えられていくのです。阪神・淡路大震災以降、危機意識が高まっていき、今の体制が確立されました。震災が平成7年に発生し、その後、新潟県中越地震、東日本大震災、熊本地震、能登半島地震がありました。風水害では静岡県の熱海の土石流災害や西日本豪雨など、それらの災害を一つ一つ踏まえ、課題を克服して災害対策を強化してきました。

現在では他府県で発生した災害情報も迅速に共有されるようになり、被災地支援に関する出動準備も迅速化されています。阪神・淡路大震災の時には、全国の警察官に支援に駆けつけてもらいましたが、東日本大震災では兵庫県警察がいち早く東北の支援に向かいました。「これは恩返しなんです」と今冨さんは語ります。

危機意識を高める。自分の命は自分で守る。

警察を始めとする多くの組織が、災害に備えて危機意識を高め、公助の面でさまざまな取り組みを強化しています。しかし、それだけでは全ての人を救うことはできない、と今冨さんは言います。私たち一人ひとりの自助、そして地域や社会全体での共助の強化が欠かせないのです。私たちも危機意識をより高めていくことが重要だということです。

今冨さん:危機意識を高めて欲しいと思います。例えば旅行に行くときは、旅行先のハザードマップを確認する。事前に見ているのと見ていないのとでは大違いです。そういった備えの意識を高めるだけでなく、実際に何らかの行動を取ってもらうことが大事だと思います。災害はいつどこで発生するか分かりませんけど、必ず発生しますので、自分の命は自分で守るという強い意識をもってほしいです。

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