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No.
13

(NPO) 阪神淡路大震災1.17希望の灯り
代表理事藤本 真一さん
取材日 : 2025年2月21日

[ 写真:藤本さん ]

NPO法人1.17希望の灯り(HANDS)は、阪神・淡路大震災の教訓と、そこから生まれた支え合う「こころ」を伝えひろげるため設立された団体。三宮の東遊園地での追悼行事の開催や、震災の伝承などに取り組むほか、東日本大震災や能登半島地震などの被災地支援活動も行っています。このNPO法人1.17希望の灯りの代表理事 藤本真一さんにお話を伺いました。

震災当時の状況や現在の活動

藤本さんへのインタビューは、逆に藤本さんからRE KOBE実行委員への問いかけから始まりました。

藤本さん:RE KOBE実行委員のみなさんは、そもそもなんで阪神・淡路大震災のことを伝えないといけないと思っていますか?30年前の出来事だから、別に伝えなくてもいいんじゃない?っていう考え方もありますよね。みなさんが生まれる前に起きた震災のことを、なんで語り継がないといけないか。僕は一言で言うと、死なないため、それだけ。君たちのような若い子たちが死なないためだと思っています。

「1.17のつどい」を誰もが参加できる場所に

藤本さん:僕たちがやっている「1.17のつどい」には、震災を知らない若い子たちが動けるきっかけ作りみたいな意味もあります。それを「記憶のスイッチ」って言っていて。「1.17のつどい」って追悼行事だとみんな思っているけど、それだけじゃなくて、語り継ぎの場所でもある。僕たちがこの10年ほどでやっているのは、震災を経験している、経験していないに関わらず集まれる場所にするために、参加のハードルを下げることでした。
1番ハードルを下げたきっかけは、灯篭で現す文字を公募したこと。それまでずっと 「1.17」だけだったのを、ここに来るいろんな人たちの思いを集める場所にしたいと思って、一緒に灯す文字を公募しました。正直、最初は反対の声もありました。「1.17」を壊すのかとか、遺族を排除するのかとか。でもそうじゃない。震災経験者だけの場所だったら、この場所はいずれ無くなってしまう。そうじゃなくて、震災や災害に対して思いを持つ人が気軽に来れる場所にしなければならないという気持ちでした。
その後、子供世代の掘り起こしのために、「希望の灯り花火大会」というイベントも始めました。子供たちにしてみたら、いきなり震災の話をされても興味を持てないと思う。それは別に悪い意味じゃなくて、世代も違うし時代背景も違う。その中で、まずは関心を持ってもらうことが大事だと思っていて。手持ち花火を無料で配ってあげて、そのときにちょっとだけ希望の灯りのことを説明したりする。地蔵盆みたいな行事になれば良いなと思っています。

震災を経験した世代から経験していない若い世代への伝承にも取り組まれていますね。

藤本さん:2年前から、「1.17伝承合宿」というイベントも始めました。前から問題意識を持っていたのが、うちの団体も含めて震災伝承活動や被災地支援活動をしている団体がたくさんある中で、横のつながりが全然ないこと。そんな中で、一番熱心に活動してきた人たちが70歳や80歳になっていて、いずれその人たちから話を聞くことができなくなってしまう。いくら記事を書いたり、動画で残したりしても、やっぱり直接聞くのとは違うからもったいないなと思っていて。それで、そういう人たちから若い人たちが直接話を聞く場を設けたいと思って企画しました。高校生から80代の人まで50〜60人が参加して、1泊2日、もうしゃべりたいだけしゃべってもらう、っていう合宿です。
高校生なんかは「ちょっと情報量が多すぎて間に合わないです!」みたいな状態になって。そりゃそうですよね、30年の歴史を語るわけだから。でも直接知り合いになれるから、もし興味があったら、また話を聞きに行くことができる。

震災30年の節目に開催された「1.17のつどい」には7万5千人もの人が参加したそうですね。私たちも参加して、学生など若い人たちがたくさん来ていることに驚きました。何が若い人たちに足を運ばせるのでしょうか?

藤本さん:神戸市の学校教育では、小中学校の9年間ずっと震災学習をやっている、これが1番大きいと思います。だからといって、みんなそれで震災や防災のことが好きなわけではない、むしろ嫌いな子が多いんだけども、でも例えば、南海トラフ地震が来た時に自分の学校に津波が何分以内に何メートルぐらい来る、くらいのことはみんな知っている。
「1.17のつどい」には、2年前ぐらいから制服を着た高校生たちがたくさん参加しています。それで、「なんで来たん?」みたいに声をかけにいくんですけど。今年聞いたのは、ダンス部で、ダンスの中に震災のことを表現したものがあるんで、それをやる時にやっぱなんかちょっとでも知ってた方がいいよねって言ってみんなで来ましたとか。
普通、そんな高校生ぐらいの子が追悼行事とか来たら周りから茶化されるって思うじゃないですか。「意識高いな」みたいな。でも、神戸はそれがない。それで、高校生で参加した子が大学で東京行ったら、東京会場に参加してくれたりして。
そういう意味ではもう世代交代は終わってるって思ってるんですよ。一定程度、学校で教育を受けて、あとは行ける場所があれば、参加してくれる。「1.17のつどい」は初詣に近い感覚になってるんじゃないかと思います。みんなでローソク灯して、一緒にあの場所にいるっていう。今年も来たね、みたいに同窓会の場所になってたりとか。
日常生活で災害の話とかってしたくはないと思うんですよ。ただ、あの場所やったら喋れるし聞いてくれる人もいる。だから場所っていうのは大事だと思っています。

異次元だった震災30年「1.17のつどい」

藤本さん:こういう行事って、大体来場者数が年々減っていくものなんですけど、「1.17のつどい」はなぜか増えている。僕にもその理由は説明ができないです。やり続けてることの不思議さっていうのはあると思います。30年で今年初めて来ました!っていう人もいるし、1回でも来てくれたらいいと思ってて。神戸だけじゃなくて、東日本や、能登や熊本、台湾などの被災地の人たちも集合する場所みたいにもなっているし。
なんでって言われたら、なんかわからんけど来たし、なんかわからんけど行った方がいいよねみたいな。大事なのはそんなホワンとしたことだと思います。阪神・淡路大震災が歴史になってきているってずっと言われてたんですけど、歴史というより、もう伝統文化に近い感じになっているかもしれない。
今年、震災から30年を経験する前までは、来年から何か形態を変えないとだめなのかなと思ってたんですけど、今回経験してみて、これだけたくさんの人が参加してくれるんだったら、まだ今のままでええんかなと思いましたね。もちろんどこかしら変革は必要と思いますけど、まだ大きく変えなくてもいいのかなっていう安心感になりました。

藤本さん自身も、代表理事を途中で受け継がれて、世代交代の当事者だと思うのですが、どうして引き受けようと思えたんでしょうか。

藤本さん:元々うちの団体に入ったのは、学生のときに映像を撮るのが趣味で、東日本大震災のときに被災地に行きたいと思って、でも一人では行けないから、うちの団体が募集していた「トラック運転手募集」に応募したのがきっかけでした。そうしたら、当時の代表から、ボランティアの人たちの活動記録を撮ってくれって頼まれて。ボランティアの人たちがいろんな動きをしているのは撮っていて面白かった。東日本で、震災で家族みんなを亡くしてしまった人を撮影したときは、ただカメラ回してただけやけど、しんどかったです。でも向こうの人と仲良くなって交流ができたから続けようと思えた。
東日本をきっかけにやり出して、ふと足元見たときに、うちの団体に年寄りしかいなくて、世代交代せなあかんよねって言ってる間に、お前代表やれって言われて。最初はそんな有名な団体と知らなかったんで、重みを理解していなかった。震災のご遺族の人たちが立ち上げた団体に、遺族でも何でもない僕がやることに対してのプレッシャーっていうのはあったし、自分が喋ってることが間違ってないかなっていうのはもうずっと思いながら喋ってました。
それでも、息子さんを亡くされた人とか、家族を亡くされた人たちが、こうやって喋ってくれるだけ、こうやって生きていてくれるだけでいいんだよって言って、後ろ盾になってくれて。でも今はもうその人たちももうみんな亡くなってしまったんで、後ろ盾もなくなったし、寂しさがあります。僕も勝手にその人たちの代弁者のつもりで喋ってますね。
それから、代表というところで言うと、小さなNPOでもやっぱり経営なんですよね。携わる人がいることがベースだけど、お金がなかったら活動できないから、お金をどう集めるという経営的な視点がやっぱ大事で、それ抜きにこの活動は続かない。NPOとかボランティアの話した時に経営の話ってみんなしないんです。でも東日本大震災から10年以上経って、みんな困ってるのはそこなんです。うちは小さな団体だけど、先を見据えた時に自分が代表になってからこの10年で固定経費なんかをだいぶ浮かしてきて、それを次の投資に回していこうとしています。

若い世代に考えてほしいことはありますか?

藤本さん:大事なのは、他人事と思わず自分事にどう思えるか。例えば小・中学生ぐらいの子供たちには、学校と通学路と家のことを、ここで地震が起きた場合はどうなるかことぐらいは考えてほしい。それを学校の先生やお父さんお母さんと相談するだけで生存率はだいぶ上がると思います。高校生とか大学生とかになってきたらユニバーサルスタジオに行ったらどうなるかとか。もしユニバにいるときに南海トラフが来たらどうなるか。いまは、行政のホームページを見たら全部書いてある。何時間以内に津波が来るとか。それを見るか見ないかだけで行動が変わりますよね。
それと例えばいま大事なのはネット環境ですよね。能登で何が問題になったかというと、ネットが全然繋がらなくなった。それで、アメリカの企業が作った「スターリンク」っていう衛星回線が初めて本格的に被災地で活用された。若い世代には、30年前の、携帯がなかった阪神・淡路のときの話を聞くだけじゃなくて、今ネットが使えなくなったらどうなる?とか、今起きた場合にどうなるか、何ができるかっていうのを考えてほしい。
30年前のことで大事なのは、当時神戸のみんな、まったく地震に備えてなかった。神戸は地震が起きないって言われてたから。それでノーガードの状態で地震にやられたっていうのが1番の後悔。だから、やっぱりそういうことを考えておかないとあかんよねっていうことを伝えるのが「1.17のつどい」とかの場所の意義だと思っています。

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